TOPページ >樋口久子〜日本人初世界ゴルフ殿堂入り
日本人雄一のメジャー大会制覇
国内外で72勝をあげ、樋口久子時代を築いた。 樋口 久子(ひぐち ひさこ、1945年10月13日 - )は、埼玉県川越市出身の女子プロゴルフ選手。
樋口久子は、二階堂高校の陸上部にいてハードルの選手だった。
高校時代に実姉が勤務していた東急砧ゴルフ場で中村寅吉を知り、ゴルフへの関心を深める。卒業と同時に中村が社長をする川越CCに就職し門下生となった。
仕事は練習場係。仕事の傍ら「グリップからアドレスの立ち方、コース攻略まですべてを中村先生に教わった」競技の時は中村の帯同キャディーを務めた。
その経験の中からプロの戦い方の呼吸、駆け引きを学んだ。
1967年にプロテストを受けた樋口は、第1期女子プロテストに合格した。
第1回のプロテストは26名全員合格だった。
それに、それまで研修会にでていた25名が女子プロとして認知された総勢51名。
その翌年、日本女子プロゴルフ選手権大会、TBS女子オープン選手権(現・日本女子オープンゴルフ選手権競技)の2大メジャーを連覇。樋口久子は勝ち続けた。
日本女子プロ選手権では、7年連続優勝。
日本女子オープンでも4年連続優勝。
意外に知られていないが、67年の女子プロ創立記念競技以来13年間、連続338試合予選通過という大記録もある、無敵の女王だった。
70年から79年の10年間、佐々木マサ子とともに毎年4-6月の3カ月間米女子プロツアーに参戦する。「自分の力がどれくらいなのか試してみたかった」。
その8年目の77年、サウスカロライナ州ベイツリーで開かれた全米女子プロ選手権で、しかも、メジャータイトルで四日間、1イーグル・17バーディ・8ボギー・1ダブルボギー・パット・ブラドリーらに3打差の通算9アンダーで回っての優勝だった。
男女を通して日本人のメジャー競技優勝第一号で、その後も続く者はいない、
世界もその実力を認めた。
無敵の女王樋口久子の一言
「いつも勝って当たり前という風に見られていましたから、普段の生活でも、練習するときでも、そういう義務感のようなものを感じていましたね。
「ふーっと息をつく余裕もなかったんですよ」
樋口久子プロは、32歳になっていた。
コースを見れば、樋口の飛距離は当時飛ばし屋といわれていたパット・ブラドレーという選手に楽に50ヤードから0ヤードもドライバーで置いていかれる。
「もし、私が10歳若かったら、こっちの選手みたいにオーソドックスなスイングに変えていたと思う。
でも私もそう若くないし、これまでこのスイングでやってきたのだから、それを貫こうと思うようにしたんです」樋口のゲームを見ていて、ひとつよく解ったことがあった。
彼女は、アメリカにいても日本と同じリズム、スイング、感情でゲームを運んでいるということだった。日本のプレーをそのままアメリカに持ってきている気がした。
つまり、どんなにコースの距離が長くとも、無理にスイングを変えて強振することもない。ゴルフの環境に惑わされず、日本でプレーしているまま、アメリカでもプレーするこれが彼女の強さだった。
もし、彼女のドライバーの飛距離が、あと20ヤード伸びたら、彼女に勝てる女子プロは、世界中どこを探したっているわけがない。素晴らしい精神力。
そして、あの頭脳的なプレーは、確かにナンバーワンだ。
1996年日本女子プロゴルフ協会会長に就任。1997年に会長職専任のため競技の第一線を退き、後継者の指導に尽力する。これまでの競技者・指導者としてのキャリアの高い評価から、2003年に日本人初の世界ゴルフ殿堂入りを果たした。
また以前から開催されていた「紀文クラシック」が、彼女の功績を称えた「樋口久子・紀文クラシック」(2003年は一旦休止。2004年から「樋口久子殿堂入り記念・IDC大塚家具レディース」に改称)として開催されている。
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