杉原輝夫

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我が人生の    
       縮図なり 
        1983年6月吉日 成康          

◆ プロゴルファー杉原輝夫 ◆




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年齢・病気・故障に挑み続けるプロ魂

杉原輝雄、異名は関西ゴルフ界のドン。68歳になる老人と言うにはまだ若い。プロゴルファ−杉原輝夫としていえばその範疇に入るのかもしれない。加えて、ガンという疾患を抱えながらの元気なプレーぶり、ゴルフ界における老人力の手本といってもいいであろう。

今回つるやオープン2日目に69をたたき出して世界のゴルフツアー最年長予選通過記録を樹立し、日本ツアー史上初のエージシュート(年齢以下のスコアでホールアウトすること)をもう少しで達成するところだった。

ドン杉原輝夫といえばファンを大切にすることと選手のマナーに厳しいことでも有名。トーナメント中継のゲスト席に着いた時でも、たまたま若手選手などがミスショットして悔し紛れにクラブなどを叩きつけたりするシーンが映ろうものなら「地球叩かんと自分の頭叩きなはれ」なんて言ってはばからない。

杉原輝夫は15年ほど前には前立腺ガンにかかったことが判明。すぐに手術すべきところ、身体を切るのはスイングに悪いからと、ホルモン投与でガンをねじ伏せた。「手術をすれば2〜3ヶ月入院といわれましたんでね。

ゴルフができる体に戻すには半年はかかるでしょう。時間がもったいないを制覇。確固たる地盤を築きながら、近年は予選落ちが多く、シード権も失った。

肉体の衰えに抗する「加圧式トレーニング」に取り組んできた。腕や太ももに巻きつけたベルトに水圧を加えてトレーニングするもので、短期間で筋力アップがはかれる。

「もともと飛ばし屋じゃないわけですが、もう20ヤードは伸ばしたいと思いましてね」還暦を過ぎて闘病と新しいトレーニングへの挑戦。プロの鏡といっていいであろう。

杉原輝夫自身を支えているものはなんですか?
「カネがほしいからですよ。稼がにゃならんからです」ずばり、そう答える。

このゴルファ−には、ゴルフという競技に付着する娯楽性はまったくない。
プロ魂はその出発にもかかわりがあるだろう。

名門・茨木カンツリークラブの近所で生まれ育た。小学五年生のとき、キャディのアルバイトをしたのがゴルフとの馴れそめである。

中学時代、土日は必ずゴルフ場に出向いた。アルバイト代は30円から50円の時代。「プロになれば稼げる」という話を聞き込んで、決意を囲めた。

キャディからはじめて従業員となり、杉原輝夫は20歳でプロとなる。セットのクうブを持てるようになったのはプロになってからである。25歳で日本オープンに優勝。以降、50代前半まで、国内54勝を数える。

162センチ、62キロ。パワーゴルフの時代にあって、小柄なプレーヤーは長くトップゴルファーの位置を確保してきた。「人よりあったのは、この世界で生きるしかないという思いと負けず嫌いの性分でしょうよ」

今、杉原輝夫のプレーを見つめるギャラリーの視線は熱い。見知らぬ人より、「励みになります」、という便りをもらうこともある。「プレーしながら、このパットを決めるとファンの人が喜んでくれるかな、と思いながらやっているときがある。

自分のためにやっているんだが、そうでもない部分もあってね、プレッシャー感じますよ」グリーンの上。人々が見詰めているのは、逆境のなかできらりと差し込む光芒であろう。

1億円のスポンサーも得て、夢の夢日本ツアー史上初のエージシュートを虎視眈々と狙っている!!

     頑張れ!!ゴルフ界のドン「杉原輝夫」ゴルフ大好きなTファンより。

 
 
 
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