TOPページ >青木功〜世界ゴルフ殿堂入り
青木功は14歳の頃からゴルフを始め、1964年にプロ入りする。
ツアー初優勝は1971年の関東プロゴルフ選手権で、1976年に初の日本ツアー賞金王。青木功は以後1978年から1981年にかけても、4年連続で賞金王に輝く。
日本国内のツアーにほぼ専念していた、ライバルの尾崎将司とは異なり、積極的に日本国外のツアーにも挑戦する。
1978年、「世界マッチプレー選手権」で海外ツアー初優勝。
1980年の全米オープンでは、4日間「帝王」ジャック・ニクラスとペアを組み、最終日まで死闘を繰り広げた。
優勝はニクラスで、青木功は2位。共に当時の優勝レコードを塗り替えての1、2フィニッシュだった。これは現在に至るまで、日本人男子選手のメジャー大会最高成績として残っています。
また、同年の全英オープンでは、初日に最小スコアレコードである「63」を、文字通り叩き出している。(2006年現在も、タイ記録として燦然と輝いている)
1981年、正式な米国レギュラーツアーのライセンスを取得。ツアーに正式参戦を開始する。
1983年のハワイアン・オープン(現在のソニーオープン・イン・ハワイ)で、日本人初のアメリカPGAツアー制覇を、最終ホールのショットインイーグルで果たす。(このショットで使用したパワービルトのPWは、ゴルフの殿堂に展示されている)
1989年、豪州ツアー「コカ・コーラクラシック」に勝ち、世界四大ツアー(日米欧豪)での優勝を達成。
1992年よりシニアツアー(現在の名称は「チャンピオンズ・ツアー」という)にシフトしてゆき、2001年には米シニアツアー「フォードプレーヤーズ選手権」にて、通算1,000試合出場を達成した。
2004年、日本人男性としては初めて、世界ゴルフ殿堂入りを果たした。 2006年現在、国内57勝、海外7勝、国内シニア7勝、海外シニア9勝、海外グランドシニア3勝、通算83勝。
アメリカなどの英語圏では、「アイセイオー・エイオーキ」と発音されていたが、80年の全米オープンでの活躍以後は「イサオ・アオキ」と、正しい発音で呼ばれるようになました。
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米国レギュラーツアー時代は、長いパットを次々と放り込む姿や、難しいバンカーからの絶妙な寄せ技などから「東洋の魔術師」と呼ばれた。(USPGAのバンカーショット部門では、'80年、'81年と二年連続No,1の座に就いている。
また、'80年代10年間の通算成績でも首位に輝いている) 最近は青木功のことを「世界の青木」と呼ばれるようになっているが、これは好敵手・ジャック・ニクラスが「(アオキの)100Y以内の小技は世界一だ」と語ったことが由来とされている。
長年、青木功ジュニアクラブを主宰し、ジュニアの育成にも力を注いでいる。
近年は全英オープンの解説なども努めています。
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